2016年飯田日中友好協会 中国東北地方友好訪問の旅思い出 

日中友好の旅をとおして、平和をあらためて希求する  団長 清水可晴

◎協会役員、参加者のご協力に感謝

 飯田日中友好協会が中国東北地方友好訪問の旅を計画し、現地合流を含め25名が参加頂きました。計画段階から、説明会、訪中に至るまで綿密に取り組んで頂きました寺沢副会長、小林理事長、池田事務局長には心から感謝とお礼を申し上げます。また、班のコースを設定しA班に参加しましたが、A班副団長斉藤さん、記録林さん、写真米山さんには、班をまとめていただき、参加者に気遣いなど頂きました。34日の訪問では、731部部隊記念館、中国養父母連絡会並びに養母李さんとの再会、方正日本人公募の墓参と慰霊、方正県人民政府への表敬訪問、上久堅・飯田開拓団跡地訪問、川路開拓団跡地探索、ハルビン駅に併設してある安重根記念館など訪問し、新たな出会いや思い出いっぱいの訪中でした。ご一緒に参加くださったすべての皆さんに心から感謝申し上げます。

 ◎団長あいさつを記す

@ 中国養父母連絡会と李さんとの再会あいさつ

 私たち長野県飯田日中友好協会訪中団25名は、今朝、午前3時飯田を出発して、ハルビンに到着しました。胡会長はじめ、中国養父母連絡会の皆さん、養母の李さんとの再開を楽しみにしていました。

  昨年は、東京にて、中国養父母展を開催頂きありがとうございました。そのうえ、日本での巡回展にあたり、展示物を寄贈いただき感謝申し上げます。昨年は、満蒙開拓平和記念館にて、特別展を開催し、現在は、長野県日中友好協会創立60年記念事業の一環で、長野県内の巡回展を開催しております。このことは、困難の中、日本人孤児を育ててくださり、帰国させてくれた多くの養父母の方々に感謝申し上げるとともに、その気持ちを語り続けるとともに、民間団体としても、中国養父母への出来ることの支援をしなければと考えております。中国の養父母を支えて頂いております養父母連絡会の胡会長はじめ皆さんに感謝申し上げます。

李さんへ一言

私の母親と同い年の李さん。中国のお母さんと再会出来てとてもうれしいです。昨年、日本に来ることが出来てうれしく思って頂けたこと良かったです。李さんは、日本人の子どもを養育したことで、近所から言われ、困難の中、孤児だから助けなければと、人として命の大切さを感じ、助けるのが当たり前ですと、語られた言葉は忘れません。そして本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。いつまでもお元気で暮らしてください。

 

 A方正日本人公募にて、慰霊の言葉

私たちは長野県飯田日中友好協会訪中団25名です。方正日本人公募に眠る4500柱の御霊に対し、心から哀悼の真を捧げます。

私たちは、日中共同声明の原点を踏まえ、先の侵略戦争の反省に立ち、平和友好訪問の旅をとおして、平和の尊さを学び、日中不再戦の決意を新たに、日中平和友好を発展したい思います。国策で進めた中国東北地方の開拓で犠牲になられた御霊の安寧とご冥福を心からお祈りし、慰霊の言葉といたします。合唱

 

B方正県人民政府表敬訪問あいさつ

・本日は、私たち飯田日中友好訪中団に対し、人民政府訪問を受け入れと懇談の機会を頂き、歓迎を頂きましたこと心から感謝とお礼を申し上げます。

・実りの秋をむかえ、黄金色に輝く稲穂の田園風景は、心を和ませてくれました。

・ただいま、方正日本人公募に墓参し、4500柱の御霊に慰霊し、心からの哀悼の誠をささげてきました。

・人民政府におかれましては、これまで、残留孤児の人道支援、日本人公募の建立と維持管理など温かいご配慮を頂きましたこと心から感謝とお礼を申し上げます。

・方正県と泰阜村とは友好都市であります。飯田日中友好協会泰阜支部は、今回の訪中は出来ませんでしたが、よろしく申しておりました。

・私たちは、日中共同声明の原点を踏まえ、先の侵略戦争の反省に立ち、平和友好訪問の旅をとおして、平和の尊さを学び、日中不再戦の決意を新たに、日中平和友好を発展させたいと思います。

・最後に、方正県の益々のご発展と県民の皆さんのご健康を心からお祈り申し上げます。

 

中国・ハルピン市 方正県人民政府外事僑務辯公室

黄力新 主任歓迎あいさつ

尊敬する飯田日中友好協会清水団長はじめ皆さんの訪問を心から歓迎します。方正県は歴史的原因の中、第二次世界大戦のあと、犠牲者に対し、豊かな心をもって、4500人を引き取ってヒューマニズムを持ってお世話をし、日本人公募を建立しました。中国は頻繁に日本に訪問し、これまで23回友好訪問をしています。日本から20団体が訪問を頂いています。泰阜村とは1997年友好都市を提携し、交流をしています。方正県と日本の協力分野を大切に、民間交流は意義があり、戦争の悪さをわかって、平和を大事に健全な中日友好を進めていきたいと思います。

 ◎残留孤児「孫さん」との出会い

 方正県に入ると、古民家が立ち並ぶ場所に到着、池田事務局長がここで止まって散策しましょうと提案。ガイドの苑さんが先に民家の近くに立ち寄ると、大きな犬が吠えはじめ、この先は危険だと躊躇していると、犬の声に反応した家主が民家から出てきまし 

 た。ガイドの苑さんが、開拓団の話をすると、私は日本人ですと応える。エーと苑さんは驚き、私たちを民家まで来るようにと手招き。A班全員が行くと、通訳してくれ、名前は孫さんと言い、72歳の女性であった。外で話をする中で、家に入れてくれて、手紙を二通見せてくれた。その手紙は、生まれたとき、お母さんが養母にしたためたものであった。孫さんの母親はトウモロコシ畑で出産する予定であったが、中国の養母が家に案内して、養母の家で生まれたと言う。

父母とも養母に預けたまま亡くなったようである。その手紙には、長野県の池田と書いてあった。孫さんが日本人と知ったのは、29歳の年、養母からあなたは日本人ですと伝えられた。探索によって得た残留孤児との出会いであった。孫さんは、日本人であることから、中国養父母連絡会に相談したが、手紙が解読できないからと、現在に至っている。孫さんは私たちを見送ってくれた。国策で進めた満蒙開拓の悲劇を現地で知ることとなった。とても悔しい思いで別れをしました。

 

 ◎日中役員 秦文映さんのお母さん故洋子さんの実家に訪問

   新立屯上久堅村開拓団本部を探索中、ガイドの苑さんから、手招きされ、A班全員バスから降りて向かうと、その場所が上久堅開拓団の本部跡であった。苑さんから、一人の若い息子から、長野県飯田市に6か月住んでいたと聞きだす。家の中から、お母さんが、写真を持って来て見せてくれた。写っていたのは、帰国者で亡くなった秦洋子さんであった。池田事務局長が日中の役員である飯田市立病院の通訳秦文映ちゃんのお母さんだよと叫んだ。秦さんの実家であることが分かった。また、日中の役員で、語り部の小木曽さんも写っていた。小木曽さんは結婚式に招待されたようであった。偶然の出会いに皆で拍手した。帰りに、お母さんから、茹でたトウモロコシを頂き、夕飯の席で頂いた。とてもモチモチした触感であった。現地では主食として食べていると聞いた。偶然の出会いであったが親しみを感じ、楽しく愉快な出会いであった。

 

  731部隊記念館・安重根記念館を視察して

   日本の侵略の歴史は、中国や韓国で大きく語り継がれている。731部隊記念館では、遺跡として保存され、戦争を目的として細菌兵器を研究、実験、製造をした施設の内容展示は、残酷であり戦争責任を痛感する。安重根記念館は、韓国の要請で、中国が配慮し、ハルピン駅に併設された場所に展示されている。伊藤博文を暗殺したハルピン駅構内が見られる場所にあり、韓国では若い人の教育の場としている。日本人の観覧は少ないがもっぱら韓国人が多く観覧しているという。二つの記念館をとおして過去の過ちは現在にも受け継がれており、中・韓両国との平和友好の大切さをあらためて感じる。

 

 ◎現地ガイドの(えん)さんに感謝

   現地ガイドを頂いた(えん)さんは、温厚でとても優しく面倒見のいい方でした。微に入り細に入り詳しく案内を頂き、現地の訪問では、開拓団跡の探索については、現地の中国人と折衝し、出会いの場を沢山作っていただきました。本当にありがとうございました。


飯田日中友好協会主催
中国東北部平和友好訪問の旅 訪中記